桃、という果物がある。
黄河上流の高山地帯で生まれ、古来より大陸では不老長寿の果物として、仙人伝説と深い関わりがある果物である。
日本へは弥生時代ごろ伝わり、鎌倉時代においては、水菓子と呼ばれ、珍重された。
そんな桃が、である。
京の足利家の治世も落ち着きを見せた三代義満の時代、吉備の国(今の岡山県南部)で、子を成したというのだ。
関西の桃郎は浅薄無頼、平成の末年、若くして名を鬼滅隊に連ね、ついで桃柱に補せられたが、性、旺盛、自ら恃むところ頗る厚く、千里を走るを潔しとしなかった。
きびだんごをば早はや積み果てつ。鬼ヶ島のつくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒なり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る太郎仲間も「ホテル」に宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば。
この鬼ヶ島の港まで来こし頃は、目に見るもの、耳に聞くもの、一つとして新あらたならぬはなく、筆に任せて書き記しるしつる紀行文日ごとに幾千言をかなしけむ、身の程ほど知らぬ放言、さらぬも尋常よのつねのサル、キジ、さてはイヌなどをさへ珍しげにしるしゝを、心ある人はいかにか見けむ。
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