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私が思うに、書はあらゆること(事象)の縮図であると考えます。一方で、表現は自分の経験したことしか表現できません。技術、知識、感性などを磨く努力を積み重ねることでしか、自分の表現していく方法はないのだと思います。」そう語る書家・髙木茂行さんは、昭和43年の卒業生。
関西高校時代の節度ある教育と「天分発揮」の精神が、自分にとっての大きな土壌になったと回想します。「中庸な生徒が多数でしたが、はみ出る生徒もいた。おおらかな校風、その『風』が自分には合った。たくさんのことを取り込めた関西高校での3年間がなければ、今の自分の人間形成はできなかった。」「実は入学時は嫌だったんですが、卒業する頃には大好きでしたね。自由な校風、先輩たち、電車通学…こんな楽しい学校はほかにはなかったと思います。」当時は著名な、かな書道家である父(髙木聖鶴)への反発心もあり、穏やかならざる時期でもあった。
そんな髙木さんが一転、漢字書家となる人生の一大決心をしたのは、高校卒業後間もない浪人時代。大学入学後以降、「周りの人が300枚書くなら自分は千枚」と周囲の何倍もの努力を始める。「ほとんどスポーツの世界と同じで、たくさん書き反復することで手に覚えこませていた」そう。「一生懸命」は、今に至るまで座右の銘だ。文化勲章受章者の青山杉雨氏に師事し、サラリーマンにはならず、プロの書家として歩み始める。「一本の則(のり)があり、そのなかで試行錯誤しなさい。」その「日本一怖い」青山先生からの教えと、関西高校での月日が、今の髙木さんにつながっている。
●プロフィール
昭和24年、総社市生まれ。昭和43年に普通科を卒業後、大東文化大学へ。同校卒業。東京在住。文化勲章および文化功労章者である故・青山杉雨並びに同じく文化功労章者である故・成瀬映山に師事。大東文化大学文学部教授、公益財団法人全国書道美術振興会理事長、公益財団法人全日本書道連盟常務理事、北京大学書法藝術研究所客員教授などを務めるほか、講演・講座活動、各種美術展審査員、書籍出版、自身主宰の書道教室などを通じ、書を広めるために日々努めている。2016年度 日本芸術院賞受賞。父は文化勲章受章者でかな書道の大家、故・髙木聖鶴。