保護者の方へ(治癒証明書など)

OKAYAMAディスカバリークラブ

2025-12-17 (Wed)

『べらぼう~』こぼれ話 Part2 後編➁

こんにちは!ODCです。

鍬形蕙斎さんの面白話も、いよいよラストです。

ということで、ここでクイズ!

鍬形さんは津山松平家の御用絵師になったが、江戸っ子のプライドを保ち、
津山には1度も足を踏み入れなかった。〇か×か?

正解は…

「 × 」でした!

鍬形さんが津山を訪れたのは、1810年。47歳の時でした。
彼はこの地で、1年弱過ごしたと言われています。



出典:https://www.e-tsuyama.com/kankou/check/kyodo/f3.html

これは、滞在時に描かれた「津山景観屛風」。
後に、津山市の指定重要文化財にもなった逸品です(^◇^)

緑あふれる、美しい自然が見事に切り取られていますね。

鍬形さんは1824年に、61歳で世を去りました。2代目と3代目も初代と同様、
津山藩専属の絵師として活躍したと言われています。

ちなみに、2代目の鍬形赤子(せきし)さんは、津山藩の蘭学者である、
箕作秋坪(みつくりしゅうへい)さんや、宇田川興斎(うだがわこうさい)さんと
親交があったことでも有名です(・∀・)


箕作秋坪さん。蘭学者である、箕作阮甫(げんぽ)さんの女婿でもありました。
出典:https://www.e-tsuyama.com/report/2014/09/1825-1886.html


宇田川興斎さん。牧野富太郎さんに影響を与えた『植学啓原』の作者、
宇田川榕菴(ようあん)さんの養子です。
出典:https://www.tsuyama-yougaku.jp/Vol24.html

参考:https://www.tsuyama-yougaku.jp/asset/00032/tokubetutenn/kuwagatake.pdf

鍬形さんが、若い頃懸命に努力して、津山藩に見出されたこと。
鍬形さんと津山藩の不思議な縁が、次の世代にも引き継がれていったこと。

点と線がつながる過程が面白く、ワクワクが止まりませんでした!

鍬形さんにまつわる歴史的名所、
皆さんもぜひ訪ねてみて下さいね(*^^)v

PAGE TOP

新制服

新校舎

新制服

新校舎

サイトマップ