保護者の方へ(治癒証明書など)

OKAYAMAディスカバリークラブ

「面白いもの」や「楽しいもの」を探究する、それがOKAYAMAディスカバリークラブです。文学や歴史はもちろん、アニメや漫画、鉄道等、アプローチの仕方は無限大。長期休みには、美術館や博物館探訪等の校外活動のチャンスもあります!「楽しく・ゆったり・自分らしく」がモットーのODCで、充実した3年間を過ごしてみませんか?

顧問
田中陽子/三宅圭子/徳永史恵/髙原恭一
部員数
1年生 2名 /2年生 1名 /3年生 7名 合計10名
活動場所
4階国語科準備室、本校第2棟部室
戦歴
2024年度 奉還町商店街活性化イベント『アキナイト』
   (10月12日)に出展&坪田譲治に関するラジオ番組制作

    インターネットラジオ「ゆめのたね」にて、
    ラジオ番組『深掘り!坪田譲治』オンエア(11月3日・10日・17日・24日)
 
    UP花巻主催 「人工衛星プロジェクト 短歌ミッション」選出(最優秀賞)

2025-08-29 (Fri)

世界史の裏側に岡山県人⁉ その2 後編

こんにちは!ODCです。

ロシア留学を終えた、小西増太郎さん。その後の動向を見てみましょう。

日本に帰国した小西さんは、トルストイさんの思想やロシアの思想を広める活動を、
熱心に行ったといわれています。

『金色夜叉』で有名な尾崎紅葉さんと共同で、
トルストイさんの小説『クロイツェル・ソナタ』の翻訳も行いました。


尾崎紅葉さん 出典:https://kotenkyoyo.com/kt_author_jp/ozaki-koyo/

また、文学者の徳富蘇峰さんや弟の徳冨蘆花さんに、
トルストイさんと面会するきっかけを作ったのも、小西さんでした(^◇^)


徳富蘇峰さん 出典:https://soho-tokutomi.or.jp/photo30.html


徳冨蘆花さん 出典:https://chitonitose.com/jh/jh_lessons135.html

トルストイさんはこの巡り合わせに大変感謝し、何と小西さんに聖書をプレゼント!

増太郎さんは、この聖書を生涯大切にしたそうです(*^^)v

小西さんとトルストイさんが再会を果たしたのは、1909年の10月と1910年の7月。
最初の出会いから16年もの月日が流れていました。

旧交を温めた2人でしたが、それから4ヶ月後の11月に、トルストイさんは亡くなりました。
小西さんは、トルストイさんのお葬式に、唯一の日本人として参列しています。

トルストイさん没後も交流は続いており、
彼の娘であるアレキサンドラ・トルスタヤさんが日本に亡命してきた時は、
彼女の通訳や滞在のサポートを行いました。

参考文献:『小西増太郎・トルストイ・野﨑武吉郎―交情の軌跡』太田健一、2007年

偉大な文豪の人生の裏側に、地元ゆかりの人が深く関わっていたことに気づき、
ワクワクが止まりませんでした!

今回使った参考文献には、トルストイさんとの交流の様子や、
小西さんの手紙等も載っています。
また、増太郎さん自身が、トルストイさんについて語った書籍もあります。

興味のある方は、ぜひ読んでみて下さいね(*^_^*)

2025-08-29 (Fri)

世界史の裏側に岡山県人⁉ その2 中編

こんにちは!ODCです。

日本を出発してロシアに到着した、小西増太郎さん。

キエウ府神学中学、キエウ府大学神学部を経て、1892年にモスクワ文科大学へ入学しました。


出典:https://jp.gw2ru.com/history/213637-19-seiki-mosukuwa

モスクワ文科大学では、師匠であるグロート教授の依頼で、儒教の本をロシア語に訳す仕事をすることに。

儒教をはじめとした中国の哲学は、17世紀~18世紀のヨーロッパで紹介され、流行した時期がありました。
そのことから、ロシアでもその考えを理解したいという人が、増えたのかもしれませんね(^_^)/

小西さんがトルストイさんと交流を始めたきっかけは、
儒教の経典である『大学』や『中庸』等を翻訳し、『老子』の翻訳に取りかかったことでした。

『小西増太郎・トルストイ・野﨑武吉郎―交情の軌跡』によると、

増太郎さんが『老子』の訳をしていることについて、トルストイさんを訪問したグロート教授が話したところ、

≪「それは結構だ。けれども駄訳では困る。どうか模範的のものとしたいから、
訳者小西をお連れ下さることはできないか。逢った上の話によれば、私が援助してもいゝが」≫
引用:同書より p.102 ℓ3~5

と、トルストイさんがおっしゃったそうです。

こうして、小西さんはトルストイさんと面会し、何と共同で、『老子』のロシア語訳を行うことになったのです!

本が結んだ思わぬご縁に、びっくりしてしまいますね(・∀・)

ちなみに増太郎さんは、共同訳本の完成を待たずに帰国しましたが、
この本は初版刊行後、再版を重ね、最後には絶版になったとのこと。

「この思想は、ロシア国民にも響くに違いない」―
その目論見が当たって、トルストイさんも得意満面だったことでしょう。

さて、2人の交流はこの後も続くことになるのですが…

その話は、また後日。

2025-08-29 (Fri)

世界史の裏側に岡山県人⁉ その2 前編

こんにちは!ODCです。

皆さんは、レフ・トルストイさんを知っていますか?


出典:https://fineartamerica.com/featured/1-leo-tolstoy-1828-1910-russian-writer-everett.html

トルストイさんは、19世紀のロシアで活躍した作家です。

『戦争と平和』、『アンナ・カレーニナ』等の壮大な長編を書いたほか、
『イワンの馬鹿』のような親しみやすい物語も手がけました。

戦争を体験したことから平和を希求し、思想家としての顔も持っていたと言われています。

そんなトルストイさんは、何と岡山と意外な形でつながっています!

彼とゆかりのあった岡山県人、それは…

小西増太郎さんです!


出典:『小西増太郎・トルストイ・野﨑武吉郎―交情の軌跡』太田健一、2007年

小西さんは、かつて岡山県に存在した、上道郡門田村で生まれました。

成長すると、製塩と新田開発で名を馳せた大庄屋、野崎家で働き始めました(・∀・)

彼に転機が訪れたのは、1879年。岡山へ布教に来た、ハリストス正教会
(キリスト教の3大宗派の1つ)の考え方に感銘を受け、信者になったことでした。

これをきっかけに、小西さんはロシアへ渡り、神学を勉強したいと強く願うようになりました。

そこで彼は、野崎家を辞めて上京し、ニコライ神学校で修業を始めました(^◇^)

そして1887年、ニコライ神学校を卒業した小西さんは、
駐ロシア公使だった西徳二郎さんの協力を得て、ついに憧れのロシアへ!

参考文献:『小西増太郎・トルストイ・野﨑武吉郎―交情の軌跡』太田健一、2007年

トルストイさんとの出会いや、交流の様子はどのようなものだったのか?

次回を、どうぞお楽しみに!

2025-08-01 (Fri)

今年も力作が集まりました! その4

こんにちは!ODCです。

歌舞伎特集の話を続けます。

さて、こちらは何かというと…

何と、前回紹介した『彦山権現~』の台本の、英語版と中国語版なのです!

部員のYさんによると…

現在は訪日する海外の方が多く、もしかしたらオープンスクールに来て下さるかもしれない。
いくつかの言語のバージョンを作って置いておけば、
そのようなお客様も展示を楽しんで下さるにちがいない、とのこと。

日本以外から来たお客様にも、心遣いを欠かさない姿に、
「なるほど、そういう視点もあったか!」と驚かされました(^_^)/

IさんとYさん、2人の素晴らしい展示のおかげで、ODCの魅力を沢山の人に伝えられました。

本当にありがとう!そしてお疲れ様でした(*^^)v

そして、ODCの展示を見て下さった皆様も、ありがとうございました!

2025-08-01 (Fri)

今年も力作が集まりました! その3

こんにちは!ODCです。

文化部ギャラリーでお披露目された、ODCの展示。続いてはこちらです!

この展示を作ったのは、1年生部員のYさん!

歌舞伎が大好きな彼は、「奥が深いぞ!日本の歌舞伎」と題して、お気に入りの演目である、
『彦山権現誓助剣(ひこさんごんげんちかいのすけだち)』の魅力を熱く語ってくれました(*^_^*)

『彦山権現~』は、力持ちで武術に優れた女性 お園と、
同じく剣の名手で気の優しい青年 毛谷村六助の物語です。
恋愛の場面やバトルの場面等、見どころが満載です。

こちらが、実際のト書きをノートに書いたもの。気合十分です!
ちなみにこの下には、『彦山権現~』を見た時の感想が置かれていました。

こちらの絵画は、何とYさんが描いています!
歌舞伎のワンシーンが、よくとらえられていますね(・∀・)

さて、彼のすごいところはこれだけではないのですが…

次回、その4に続きます!

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