「面白いもの」や「楽しいもの」を探究する、それがOKAYAMAディスカバリークラブです。文学や歴史はもちろん、アニメや漫画、鉄道等、アプローチの仕方は無限大。長期休みには、美術館や博物館探訪等の校外活動のチャンスもあります!「楽しく・ゆったり・自分らしく」がモットーのODCで、充実した3年間を過ごしてみませんか?
2026-04-13 (Mon)
こんにちは!ODCです。
決死の救出劇に成功した茅原基治さんでしたが、彼の死後、
その功績は次第に忘れられていきました。
事態が動いたのは2009年。「かつて陽明丸に助けられた子供の末裔」にあたる
ロシア人女性が、茅原さんの情報を求め、ある人物に声をかけたのです。
ロシアに滞在中、その子孫の方に茅原船長捜しを依頼され、
帰国後も地道な調査を続けた人物。
この人こそが、今回の参考文献『陽明丸と800人の子供達~』を記した、
北室南苑さんです!
2011年、北室さんの取り組みのおかげで、
ついに茅原船長のお墓参りを果たした女性。
お墓の前で感謝の手紙を読み、ロシア国旗と花束をお供えしたそうです(・∀・)

出典:https://www.city.kasaoka.okayama.jp/uploaded/attachment/39642.pdf
また、地元岡山でも茅原さんを讃える活動が盛んになり、
2018年には記念碑が建てられています。


出典:https://www.city.kasaoka.okayama.jp/uploaded/attachment/39642.pdf
ロシア革命の裏側で、このような熱い思いを胸に行動した地元民がいたとは、
歴史は知れば知るほど面白いですね(*^^)v
なお、今回使った参考文献には、茅原基治さんの手記
「ロシア小児輸送記」も収録されています。
興味のある方は、ぜひ読んでみて下さい!
参考文献:『陽明丸と800人の子供たち 日露米をつなぐ奇跡の救出作戦』
北室南苑、2017年
参考:https://www.city.kasaoka.okayama.jp/uploaded/attachment/39642.pdf
2026-04-10 (Fri)
こんにちは!ODCです。
陽明丸がまず向かったのは、北海道室蘭市。
船内の一部を修理し、長い航海に備えて食糧を積むためでした。

現在の室蘭市。出典:https://www.photo-ac.com/main/search?q=%E5%8C%97%E6%B5%B7%E9%81%93%E5%AE%A4%E8%98%AD%E5%B8%82
最初はなかなか許可が出ませんでしたが、茅原さんの説得によって、
ようやく上陸することができました。
室蘭市民からおもてなしを受けた子供達は、初めての日本に大はしゃぎ。
市のあちこちを見学したり、地元の子供達と交流を深めたりして、
楽しいひと時を過ごしました(^_^)/
次に向かったのはサンフランシスコ。

現在のサンフランシスコ。出典:https://pixabay.com/ja/photos/%e3%82%b5%e3%83%b3%e3%83%95%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%82%b7%e3%82%b9%e3%82%b3-%e3%82%b9%e3%82%ab%e3%82%a4%e3%83%a9%e3%82%a4%e3%83%b3-1254172/
アメリカ赤十字社の母国に着いた子供達は、
ここでも熱烈な歓迎を受けました(・∀・)
パナマ運河を通過する時は熱中症に悩まされたものの、
無事に、ニューヨークに到着。
その後、諸々の事情で、一行はフィンランドを目指すことに。
フランスの港で最後の石炭や食糧を積み込んだ後、
大西洋を横断し、バルト海を進みました。
バルト海には、第1次世界大戦で仕掛けられた機雷が沢山眠っていたため、
かなり注意深く船を進めたとか。
そしてついに、陽明丸はフィンランドのコイビスト港に到着し、
3ヶ月に及ぶ航海は終わりを迎えました!
子供達は乗組員達との別れを惜しみ、声を詰まらせながら、
何度も「さようなら!」と繰り返したそうです…
参考文献:『陽明丸と800人の子供たち 日露米をつなぐ奇跡の救出作戦』
北室南苑、2017年
参考:https://www.city.kasaoka.okayama.jp/uploaded/attachment/39642.pdf
この続きは、また後日。
2026-04-09 (Thu)
こんにちは!ODCです。
子供達の救出計画が頓挫しかけた寸前、救いの手が差し出されました。
何と、神戸に拠点を持つ勝田汽船が、協力を申し出たのです!

勝田汽船の社長を務めた、勝田銀次郎さん。
出典:https://aogakuplus.jp/story/20210330_01/
勝田さんは人情味あふれた人で、ロシアの子供達を
何としても助けたいと一念発起。
資財を投げうち、貨物船「陽明丸」を客船仕様に大改造。
そして1番信頼できる人物を、「陽明丸」の船長に任命しました。
そう、その船長こそ、茅原基治さんだったのです!
1920年7月9日、ウラジオストックの港に入った陽明丸は、
4日後、遂に出航を果たしました。

出典:『陽明丸と800人の子供たち 日露米をつなぐ奇跡の救出作戦』
北室南苑、2017年
茅原船長は子供達に愛情を注ぎ、船旅が良い思い出になるようにと
工夫を凝らしたそうです(*^^)v
子供達からすると、陽明丸はおとぎ話の不思議な乗り物のようで、
ワクワクしたことでしょうね(^◇^)
参考文献:『陽明丸と800人の子供たち 日露米をつなぐ奇跡の救出作戦』
北室南苑、2017年
参考:https://www.city.kasaoka.okayama.jp/uploaded/attachment/39642.pdf
航海の続きを、どうぞお楽しみに!
2026-04-08 (Wed)
こんにちは!ODCです。
歴史に残る、救出大作戦のお話を続けます。
厳しい寒さと食糧難に苦しみながらも、懸命に生きる子供達。
やがてこの様子は噂になり、アメリカ赤十字社 シベリア救護隊の耳に入ることに。

ワシントンD.C.にある、アメリカ赤十字社本部。
出典:https://www.istockphoto.com/jp/
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救護隊の迅速な対応により、命の危機に瀕していた子供達は
無事に助け出されました。
療養して元気を取り戻した彼らは、救護隊の人と共に、
シベリア鉄道でウラジオストックまで戻ることができました!
しかし故郷ロシアでは、いまだに危険な状況が続いていました。
「子供達を安全に帰すにはどうするべきか?」
アメリカ赤十字社のメンバーは悩んだ末、ある計画を立てました。
それは、子供達を船に乗せ、アメリカを経由して
ロシアまで送り届けるというものでした。
赤十字社は世界の船会社に協力を求めましたが、
どの国も、リスクを恐れて断るばかり。
参考文献:『陽明丸と800人の子供たち 日露米をつなぐ奇跡の救出作戦』
北室南苑、2017年
参考:https://www.city.kasaoka.okayama.jp/uploaded/attachment/39642.pdf
万事休す、と思われましたが…
次回、後編をお楽しみに!
2026-04-06 (Mon)
こんにちは!ODCです。
そもそも、ロシアの子供達に何が起こったのか?
その経緯をたどってみましょう。
1914年から始まった第1次世界大戦。ロシアは連合国軍のメンバーとして、
ドイツ軍と戦っていました。
そのさなか、1917年に2月革命と10月革命が勃発し、
ロシア国内は大混乱に陥りました。

出典:https://www.thecollector.com/russian-revolution-in-5-great-paintings/
「せめて子供達だけでも、安全な場所に避難させよう」
ペトログラード(現在のサンクトペテルブルク)が計画した、
ウラル地方への集団疎開に、親達は希望を託しました。
かくして子供達(5~15歳)は、引率の教員と共に
ウラル地方へ旅立ちました。
「3ヶ月ここにいれば、また家へ帰れるんだ!」
楽しく過ごしながら、彼らはそう信じて疑いませんでした。

出典:『陽明丸と800人の子供たち 日露米をつなぐ奇跡の救出作戦』
北室南苑、2017年
しかし、事態はとんでもない方向へ…
チェコ軍とハンガリー軍の兵士によるいざこざが、やがて内乱に発展。
蜂起したチェコ軍と、その内乱に乗じた反ロシア軍がウラル地方に進撃し、
現地のロシア軍と武力衝突したのです。
ウラル地方の鉄道や通信設備は封鎖されてしまい、
子供達は帰れなくなってしまいました…
参考文献:『陽明丸と800人の子供たち 日露米をつなぐ奇跡の救出作戦』
北室南苑、2017年
彼らの運命やいかに!? この続きは、また後日。