「面白いもの」や「楽しいもの」を探究する、それがOKAYAMAディスカバリークラブです。文学や歴史はもちろん、アニメや漫画、鉄道等、アプローチの仕方は無限大。長期休みには、美術館や博物館探訪等の校外活動のチャンスもあります!「楽しく・ゆったり・自分らしく」がモットーのODCで、充実した3年間を過ごしてみませんか?
2025-12-23 (Tue)
こんにちは!ODCです。
尾上松之助さんのお話を続けます。
日本映画草創期に活躍した、松之助さん。
そんな彼の秘蔵映像が、今回新しく発見されたそうです!
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出典:12月12日付の山陽新聞
発掘されたのは、映画『荒木又右衛門』(1925年)のワンシーン。
『荒木又右衛門』は松之助さん晩年の代表作であり、
主演1000本目の記念作でもあります👏
同作は、江戸時代に起こった「鍵屋の辻の決闘」を元に作られました。
曾我兄弟の仇討ち・赤穂浪士の討ち入りと並んで、日本3大仇討ちの1つと言われています。
さて、記事によると…
この映像の再生時間は13分(松之助さんの登場シーンは30秒)で、
かつて存在した会社 日本航空輸送が1935年に制作した広告に、
『荒木又右衛門』の一部が使われたのではないかとのこと。
映像には後楽園を背景に、刀を振るう松之助さんの姿が!
沢山の映画に出演した松之助さんですが、
映像の多くは失われ、断片的にしか残っていないそうです。
そのため今回のように、一部でも映像が見つかったのは、
大変貴重なことなのです^_^
今回の記事がきっかけで、尾上松之助さんに
関心を持つ人が増えますように(・∀・)
2025-12-23 (Tue)
こんにちは!ODCです。
皆さんは、尾上松之助さんを知っていますか?

出典:https://www.cinejp.com/%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%86%99%E7%9C%9F-%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%89/%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%86%99%E7%9C%9F-%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%89-1/
刀を構えた姿が、ビシッと決まっていますね~(・∀・)
尾上松之助さんは、岡山県岡山市西中島町
(今の岡山市中区西中島町)に生まれました。
日本で映画が作られ出した頃に人気を博した、伝説のスターです。
2025年に生誕150年、2026年に没後100年を迎えます(*^^)v
幼い頃から、お芝居に関心があった松之助さん。
成長すると、旅回りの歌舞伎役者として活動をスタート。
その後、日本初の映画監督と呼ばれた
牧野省三さんに声を掛けられ、映画俳優の道を歩み始めました。

牧野省三さん。名優兄弟、長門裕之さんと津川雅彦さんのお祖父様でもありました。
出典:https://cinema-retro.kyoto/studio/01/
歌舞伎のノウハウを映画に取り入れ、歴史上の人物や豪傑を演じた
松之助さんは、たちまち売れっ子俳優に。
ぎょろ目で見えを切るポーズから、
「目玉の松ちゃん」のニックネームで親しまれたといわれています。
参考:https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/6184/
ここで、クイズ!
尾上松之助さんが最も多く演じた、歴史上の人物は誰でしょう?
A 塚原卜伝
B 国定忠治
C 大石内蔵助
正解は…
「C 大石内蔵助」でした!
ちなみに演じた回数は、何と20回!
きっと凛々しさと豪快さを併せ持った、内蔵助さんだったことでしょうね(^◇^)
さてさて、そんな松之助さんのお宝映像が見つかったそうで…?
次回、後編をお楽しみに!
2025-12-17 (Wed)
こんにちは!ODCです。
鍬形蕙斎さんの面白話も、いよいよラストです。
ということで、ここでクイズ!
鍬形さんは津山松平家の御用絵師になったが、江戸っ子のプライドを保ち、
津山には1度も足を踏み入れなかった。〇か×か?
正解は…
「 × 」でした!
鍬形さんが津山を訪れたのは、1810年。47歳の時でした。
彼はこの地で、1年弱過ごしたと言われています。


出典:https://www.e-tsuyama.com/kankou/check/kyodo/f3.html
これは、滞在時に描かれた「津山景観屛風」。
後に、津山市の指定重要文化財にもなった逸品です(^◇^)
緑あふれる、美しい自然が見事に切り取られていますね。
鍬形さんは1824年に、61歳で世を去りました。2代目と3代目も初代と同様、
津山藩専属の絵師として活躍したと言われています。
ちなみに、2代目の鍬形赤子(せきし)さんは、津山藩の蘭学者である、
箕作秋坪(みつくりしゅうへい)さんや、宇田川興斎(うだがわこうさい)さんと
親交があったことでも有名です(・∀・)
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箕作秋坪さん。蘭学者である、箕作阮甫(げんぽ)さんの女婿でもありました。
出典:https://www.e-tsuyama.com/report/2014/09/1825-1886.html

宇田川興斎さん。牧野富太郎さんに影響を与えた『植学啓原』の作者、
宇田川榕菴(ようあん)さんの養子です。
出典:https://www.tsuyama-yougaku.jp/Vol24.html
参考:https://www.tsuyama-yougaku.jp/asset/00032/tokubetutenn/kuwagatake.pdf
鍬形さんが、若い頃懸命に努力して、津山藩に見出されたこと。
鍬形さんと津山藩の不思議な縁が、次の世代にも引き継がれていったこと。
点と線がつながる過程が面白く、ワクワクが止まりませんでした!
鍬形さんにまつわる歴史的名所、
皆さんもぜひ訪ねてみて下さいね(*^^)v
2025-12-17 (Wed)
こんにちは!ODCです。
北尾さんが鍬形蕙斎と名を改めてから、画風が
どのように変化したかを見てみましょう。
まずはこちらをご覧下さい。

出典:https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/86296
これは、『江戸一目図屏風』という作品です。
隅田川東側の空から、西の方向を見下ろした構図となっています。
さてお次は…



出典:www.dh-jac.net/db1/books/results-thum.php?f1=Ebi1329&f12=1&-sortField.1=f4a&-max=40&enter=default&lang=ja
令和の時代にも通じる、何ともキュートな動物達ですね(・∀・)
これは『鳥獣略画式』と呼ばれる作品で、『略画式』シリーズの1つです。
北尾時代と比べるとより繊細、かつ、素朴な画風になっている気がします。
しかし、名前を変えてもユーモアを交えて描くという
スタイル(特に『鳥獣略式図』)は、健在ですね(^_^)/
次回、後編➁をお楽しみに!
2025-12-16 (Tue)
こんにちは!ODCです。
北尾政美さんのお話を続けます。
まずはこちらのクイズから。
北尾さんが31歳の時、岡山のある藩から、「御用絵師」として働かないかと
スカウトされました。さて、彼を誘った藩は次のA~Cのうち、どれでしょう?
A 備中松山藩
B 津山藩
C 足守藩
正解は…
「B 津山藩」でした!
津山藩といえば、森忠政さん(森蘭丸の弟)が立ち上げた藩として有名です。
鶴山公園では、森さんの銅像を見ることができますよ(^◇^)

出典:https://www.photolibrary.jp/img295/226845_2598463.html
ちなみに、北尾さんを召し抱えた津山藩藩主は、松平康乂(やすはる)さん!
津山松平家は、結城秀康(徳川家康の子)の流れを汲む、
由緒正しい家柄でした。
参考:https://digioka.libnet.pref.okayama.jp/mmhp/kyodo/person/matsudaira/matsudaira.htm
そして、北尾さんが請われた「御用絵師」は、
江戸幕府から直々に雇われる特別な絵師。
並の画家ではなれなかったことから、
まさに、彼のたゆまぬ努力が実を結んだと言えるでしょう(*^^)v
北尾さんは御用絵師になった後、「鍬形蕙斎(くわがたけいさい)」と称しました。
鍬形さんになってからのお話は、また後日。