保護者の方へ(治癒証明書など)

OKAYAMAディスカバリークラブ

「面白いもの」や「楽しいもの」を探究する、それがOKAYAMAディスカバリークラブです。文学や歴史はもちろん、アニメや漫画、鉄道等、アプローチの仕方は無限大。長期休みには、美術館や博物館探訪等の校外活動のチャンスもあります!「楽しく・ゆったり・自分らしく」がモットーのODCで、充実した3年間を過ごしてみませんか?

顧問
田中陽子/三宅圭子/徳永史恵/髙原恭一
部員数
1年生 2名 /2年生 1名 /3年生 7名 合計10名
活動場所
4階国語科準備室、本校第2棟部室
戦歴
2024年度 奉還町商店街活性化イベント『アキナイト』
   (10月12日)に出展&坪田譲治に関するラジオ番組制作

    インターネットラジオ「ゆめのたね」にて、
    ラジオ番組『深掘り!坪田譲治』オンエア(11月3日・10日・17日・24日)
 
    UP花巻主催 「人工衛星プロジェクト 短歌ミッション」選出(最優秀賞)

2025-03-01 (Sat)

倉敷の名所がつないだ、アートの絆! 後編①

こんにちは!ODCです。

大原美術館とゆかりのある、3人目の芸術家のお話です。

今回登場するのは、柚木沙弥郎(ゆのきさみろう)さんです!


出典:https://www.joshibi.net/museum/jam/2022/yunoki.html

熱心に指導をされていますね(*^_^*)

父も祖父も芸術家だったという、柚木さん。

東京で暮らしていましたが、学徒動員を経て、終戦後は父の故郷である倉敷へ帰還。
やがて、大原美術館で働くようになりました。

柳宗悦さんの「民藝運動」に関心を持ち、彼の本を愛読していたそうです。

また、芹沢銈介さんの作った型絵染めのカレンダーに衝撃を受け、
弟子入りして染色の技を学びました。

染め物だけでなく、版画や抽象画、絵本の分野でも活躍し、
ユーモアあふれる作品を多く残しています。

岡山県立美術館では、2月14日から3月23日まで、
柚木沙弥郎さんの展覧会を開催しています。


出典:https://okayama-kenbi.info/exh-20250214-yunoki-s/

柚木さんがいかにして芸術家となったのか、その軌跡を辿ることができますよ(・∀・)

次回、後編➁に続きます。

2025-02-26 (Wed)

倉敷の名所がつないだ、アートの絆! 中編

こんにちは!ODCです。

「大原美術館」と関係がある、2番目の人を紹介します。


出典:https://intojapanwaraku.com/craft/8539/

この人は、芹沢銈介(せりざわけいすけ)さん!

前編で登場した柳宗悦さんと共に、「民藝運動」の立役者として活躍しました。

また、「型絵染め」(「絵を描く・型紙を作る・染物をする」の作業を、1人でする技法)のパイオニアであり、
人間国宝にも認定されました。

彼の発明したこの技法は、今も多くの染色家達に受け継がれています。

ということで、ここでクイズ!

ポスターやカレンダーのデザイナーとしても有名な、芹沢銈介さん。
大原美術館のある場所を設計していますが、
それは次のA~Cのうち、どこでしょう?

A 工芸・東洋館
B 本館
C 分館

正解は…

「A 工芸・東洋館」でした!

この工芸・東洋館、今見てもかなり斬新なのです。


出典:https://rurubu.jp/andmore/article/16729#google_vignette

染物を思わせる鮮やかな赤が、人目を引きますね(・∀・)

この建物では芹沢さんの染物をはじめ、棟方志功さんの版画や、
児島虎次郎さんの集めた美術品等を見ることができます。

館内の設備や展示方法にも、芹沢さんならではのこだわりがうかがえますよ。

皆さん、ぜひ行って確かめてみて下さい(*^^)v

3人目の紹介は、また後日。

2025-02-18 (Tue)

倉敷の名所がつないだ、アートの絆! 前編

こんにちは!ODCです。

倉敷の有名な観光スポットといえば、「大原美術館」が有名ですね。

今回は、そんな「大原美術館」が縁を結んだ、3人の人物を紹介します!

まずは、こちらの写真をどうぞ。


出典:https://mingeikan.or.jp/about/soetsu/

日本史の教科書にも登場しますね(*^_^*)

この人は、柳宗悦(やなぎむねよし)さん!
柔道の生みの親である、加納治五郎さんは叔父にあたります。

職人の手によって生み出された、素朴な食器や道具を「民藝品」と定義し、
その価値や美しさを広める運動である、「民藝運動」を行いました。

大原美術館と、どのようなかかわりがあったかというと…

大原美術館の創設者である大原孫三郎さんと、息子の大原總一郎さんが、
「民藝運動」の支援者だったのです!


大原孫三郎さん 出典:https://www.kurabo.co.jp/sogyo/


大原總一郎さん 出典:https://kids.takahashiryuiki.com/izinkenzin/%E5%A4%A7%E5%8E%9F%E3%80%80%E7%B8%BD%E4%B8%80%E9%83%8E/

1928年の、大礼記念国産振興東京博覧会に出展した柳さん。
やがて、日本初の民藝館を作りたいと望むようになり、企画を考え始めました。

以前から、柳さんの民藝運動に深く共感していた大原孫三郎さん。
彼の美術館設営の話を聞き、何と金銭面で援助をしてくれたのです!

こうして「日本民藝館」はめでたく開館し、柳さんが初代館長となりました(*^^)v

そして倉敷には、大原總一郎さんの強い意思によって「倉敷民藝館」が設立されました!

柳宗悦さんと倉敷の意外なエピソードに、こちらまで心が温かくなりました(^◇^)

次回、中編をお楽しみに!

2025-02-13 (Thu)

世界史の裏側に岡山県人⁉ その1 後編

こんにちは!ODCです。

内山完三さんのお話を続けます。

上海に居を構えた内山さんは、しばらく薬の販売をしていました。

営業の傍ら、彼は自宅で、本の小さな販売エリアを作りました。

これは、妻の美喜子さんも仕事をし、経済的に自立できるようにと願ったからだとか。
元々は奥様のためだったという点から、愛妻家の顔がうかがえますね(*^_^*)

さて、キリスト教の関連本からスタートした本売り場は、やがて文学作品や専門書も手掛けるようになり、
上海で大人気の書店に成長しました。これが「内山書店」の始まりです!


出典:http://www.uchiyama-shoten.co.jp/company/cc1377.html

魯迅さんと内山さんの出会いは、1927年の秋のことでした。
魯迅さんが、諸事情で広州から上海に移った後、内山書店に来店したのがきっかけでした。

2人の交流は、魯迅さんが亡くなるまで10年間続きました。

魯迅さんは内山さんを尊敬し、内山さんは友人、ある時は用心棒として魯迅さんを支えたそうです。
参考:https://jcfa-net.gr.jp/shinbun/2009/090305.html

内山完三さんはまた、スポンサーとして、日本の著名な作家と魯迅さんの面会をセッティングしたと言われています。
(その中には何と、あの横光利一さんや武者小路実篤さんもいました!)

中国を愛し、文学を通じて日本と中国の橋渡しを行った内山さん。
そして、平和を愛し、日本と中国が深い絆で結ばれるよう願った魯迅さん。

教科書でもお馴染みの作家が、こんな形で岡山とつながっていたと知って、
かなり驚きました(*^^)v

皆さんもぜひ、内山さんと魯迅さんの関係に思いを馳せながら、ゆかりの地を巡ってみてはいかがですか?

2025-02-13 (Thu)

世界史の裏側に岡山県人⁉ その1 前編

こんにちは!ODCです。

皆さんは、魯迅さんを知っていますか?


出典:https://www.weblio.jp/content/%E9%AD%AF%E8%BF%85

魯迅さんは、20世紀初頭の中国で活躍した作家です。
代表作には、『阿Q正伝』や『故郷』、『狂人日記』等があります。

『故郷』は、中学校の国語の教科書でもお馴染みですね(^◇^)

彼は小説を口語体(白話)で書いたり、西洋の小説技法をいち早く取り入れたりする等、精力的に活動しました。
また、思想家・教育者としての面もあり、後進の指導を熱心に行ったと言われています。

そんな魯迅さんは、何と岡山と意外な縁があります!

魯迅さんとゆかりのある岡山県人、それは…

内山完三さんです!


出典:芳井町観光パンフレット

内山完三さんは、今の井原市芳井町吉井で生まれました。

京都や大阪のお店で10年間勤務した後、参天堂(今の参天製薬)に転職しました。

参天堂の商品を売るべく、中国の上海に渡った内山さん。

真面目な日雇い労働者達や、誠実な商いをする商人達の姿を見て、中国の奥深さに感銘を受けたといいます。
参考:https://www.ibarakankou.jp/sightseeing-information/history/DJ013.html

その後結婚し、上海で暮らし始めた内山さん。

彼と魯迅さんとのつながりについては、また次回。

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