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OKAYAMAディスカバリークラブ

2025-08-29 (Fri)

世界史の裏側に岡山県人⁉ その2 中編

こんにちは!ODCです。

日本を出発してロシアに到着した、小西増太郎さん。

キエウ府神学中学、キエウ府大学神学部を経て、1892年にモスクワ文科大学へ入学しました。


出典:https://jp.gw2ru.com/history/213637-19-seiki-mosukuwa

モスクワ文科大学では、師匠であるグロート教授の依頼で、儒教の本をロシア語に訳す仕事をすることに。

儒教をはじめとした中国の哲学は、17世紀~18世紀のヨーロッパで紹介され、流行した時期がありました。
そのことから、ロシアでもその考えを理解したいという人が、増えたのかもしれませんね(^_^)/

小西さんがトルストイさんと交流を始めたきっかけは、
儒教の経典である『大学』や『中庸』等を翻訳し、『老子』の翻訳に取りかかったことでした。

『小西増太郎・トルストイ・野﨑武吉郎―交情の軌跡』によると、

増太郎さんが『老子』の訳をしていることについて、トルストイさんを訪問したグロート教授が話したところ、

≪「それは結構だ。けれども駄訳では困る。どうか模範的のものとしたいから、
訳者小西をお連れ下さることはできないか。逢った上の話によれば、私が援助してもいゝが」≫
引用:同書より p.102 ℓ3~5

と、トルストイさんがおっしゃったそうです。

こうして、小西さんはトルストイさんと面会し、何と共同で、『老子』のロシア語訳を行うことになったのです!

本が結んだ思わぬご縁に、びっくりしてしまいますね(・∀・)

ちなみに増太郎さんは、共同訳本の完成を待たずに帰国しましたが、
この本は初版刊行後、再版を重ね、最後には絶版になったとのこと。

「この思想は、ロシア国民にも響くに違いない」―
その目論見が当たって、トルストイさんも得意満面だったことでしょう。

さて、2人の交流はこの後も続くことになるのですが…

その話は、また後日。

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